私の遺影
先週NHKの番組「クローズアップ現代」で、「明るい遺影を撮る」という試みをしたケアホームが紹介されていた。 著者:野寺 夕子
生きているうちに遺影を撮るなんて、縁起が悪い。そんなことをしたら、お迎えが早く来てしまうのではないか。そう思う人もいるかもしれないが(実際に番組の中で、そう思って抵抗感を示したおばあちゃんがいたが、結局撮影する気になり、その写真をものすごく気に入っていた)、今は、「霊前に飾ってもらう自分の遺影を自分で選ぶ」という考え方に賛同する人の方が多い気がする。
というのも、ちょうどこの前「遺影、撮ります」という本と出会い、案外みんな「自分の遺影を人に選んでほしくない」と思っているんだなと思ったからだ。
その本の中には、「今日は、遺影を撮ってもらうのには最良の日だと思って」とコメントしている方もいて、うーん。時代は変わったと感心。その写真はハッとするほど美しかった。だって、病床でやつれた姿を撮ってもらうわけにもいかないし、若い頃の写真はたくさんあっても、年をとったり、ましてやホームにいたりしたら、写真を撮られる機会は少ないでしょう。
実は私も、遺族が選んだ「いかにもスナップ写真から加工しました」という写真を見て、故人はこの写真でOKなの?と思ったことが何度かあった。
この先ずっと「生前の自分」として仏壇に飾られ、拝まれていく大切な遺影。自分はもう死んでいるけど、その写真は自分のお気に入りの写真がいい。その写真の自分で覚えておいてほしい。そう思っている人も多いはず。だから、そのための「遺影撮ります」である。
しかしこれも、お迎えが近い人たちがやるからこそ「明るい遺影」となるわけで、番組でも、自分の遺影を見て「これならいい」と満足気に話すおじいちゃんおばあちゃんがいたが、もうそんな境地なんである。
でもよく考えたら、自分の意志で遺影を撮ることができるなんて幸せだし、そういう機会を与えられたことはすばらしいことだ。
ところで、「自分で遺影を用意する」という行為で思い出すのが、「夢千代日記」「八月のクリスマス」という映画である。
どちらにも、不治の病にかかって余命いくばくもない主人公が、そのことを誰にも言わず、写真館でこっそり自分の遺影を撮るシーンがあって、何しろ2人がまだ若いものだから、そこには悲痛な哀しみがある。無念やろうな…。
私の記憶では、彼らの遺影は感情を押し殺した証明写真みたいだった。写真家と思い出話をしているうちに、つい笑顔がこぼれてそこを撮られた「明るい遺影」とは全然違う。
自分のお墓や葬式代を用意しておくのもいいけど、写真もね。
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