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2008/02/29

ポップステップ

古本屋さんにいると落ち着く。

それは、古い本の匂いが好きだとかいろいろ理由はあるけれど、何がいいって、本のそばにポップがない。

DVDやCDは中身がチェックできないから、店員のオススメコメントは役に立つ。が、本には基本的にいりません。帯のキャッチコピーで十分だと思う。

でも最近はポップが大流行で、「ポップが書店の腕の見せどころじゃ」といわんばかりに、我も我もと書きまくりつけまくりの感があり、そういう本屋に行くたびにうんざりしているのは私?

ちなみに、会社近くの大型書店では、ある時狭い書棚にポップがひしめきあい、叫びすぎてわけがわからない状態になっていた。またある時は、本が移動しているのにそのポップだけが取り残されて、とってもマヌケ。また時々、スタンドに差していたポップがそこらへんに落ちていたりして、気になるんだよ。私はこういうのが。

1番なげかわしいのは、自己主張の強いポップの陰に隠れて見えなくなっていたり、取りにくくなっている本があるということだ。こっちの本は売れなくてもいいんかい!だからポップはジャマなんや!

というように、ポップに憎しみを募らせつつある今日この頃。書かれてあることも、さほど面白くないしね。文体が馴れ馴れしく、媚びていて気持ちが悪い。

それに、書店員がよかれと思って書いたポップが、その書店のレベルを露呈させてしまうことがあるのも皮肉だ。というのも、以前向田邦子の小説に「人間の嫌なところをここまでさらした小説は、すごいです!」なんていう、ほめてんのかけなしてんのか、とにかくどう考えてもトンチンカンなコメントが書かれたポップがあって、まあ、いいんだけどね・・・。

というわけで、内容は読まなきゃ別段害はないが、本を手にとる時に大変ジャマなポップ。このポップが、グチャグチャとセンスなく置かれている書店は、売ることばっかり考えて、本当に本好きの客のことを考えているのかあやしいと思うのだが、どうでしょう。

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2008/02/27

うにょうにょブックデザイナー

この前TV番組「情熱大陸」で、ブックデザイナーの祖父江慎さんを見た。

前から名前は知っていたけど、こ、こんな人だったのか…。なんだか赤塚不二夫に似てる~!

事務所の風呂場でカメを飼い、川の水面の模様をみて「うにょうにょだ~。うにょうにょがいっぱいだ~」とスキップする四十八歳。かといって、それがただの天真爛漫というのではなく、ちゃんと「面白い模様だなあ。見ていて飽きないなあ。わざわざパソコンで作らなくても、ここにちゃんとあるんだよね」というデザイナーならではの鋭い視点もありで、当たり前だけど、単なる「不思議な大人」ではない。

もちろん、売れっ子デザイナーなので仕事もバリバリしているし、しゃべり方が女っぽいけど結婚して子どももいる。

漫画家しりあがり寿の会社時代の後輩だったらしいので、サラリーマンをやっていた時期があるようだが(信じられん)、二十代半ばでフリーに。会社勤め、合わないだろうな。他人だけど、わかるわ~。

「男の子の遊びは、まずルールありきでつまらなかった」という祖父江慎。きっと長い間、居心地の悪さと生きづらさを味わってきたんだろうと勝手に想像する私。でも、そういう人が大人になって自分にピッタリの仕事に就いているんだから、本人も幸せだし周りも幸せだ。

一般社会の常識からはずれても、「こういう生き方しかできない」という不器用さ。それは、クリエイターにとって最大の武器ではないかと思う。ビジネス的な成功術で突き進んでいるタイプよりも、私にはこういう人の方が信用できるし、好きだ。

とまあ、子どもみたいに邪気のなさげな祖父江慎だが、タバコを吸っている時だけ四十八歳の大人の雰囲気だったので、ドキッとした。

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2008/02/25

春よ来い

2月も下旬になると、本当に春が待ち遠しくなる。

私は季節の変わり目が大好きなのだが、冬から春へと移り行く時のこのワクワクした空気感は、本当に独特なものだなといつも思う。あらゆるものが芽吹いてくるエネルギー。それと一緒に、自分の中の硬く閉ざしていたものも柔らかくなって、外に向かって開いてくる。そうすると、ムラムラと何か新しいことがしたくて、やれば何でもできそうな気がして。

なので、鳥が嬉しそうにさえずっているだけで、幸福感に包まれておかしくなっちゃう私。

こんなに自分が春を好きだったなんて、実は今まで知らなかった。もしや年齢と共に、冬の寒さが身に染みるようになったせい?いや~ん。

春のいいところは、浮かれた躍動感に混じって、そこはかとない物悲しさがあるところだ。そして、短いところ。人生でいうと、まさに春を思う時期=「思春期」だね。

春が来るたびに私が思い出すのは、大学に入った年の春である。

初めて1人暮らしをすることになった春。引越し先の下宿の近くではちょうど桜が満開で、私は親元を離れたという解放感でいっぱい。でも、この先どうなっていくのかという漠然とした不安もあり、かといってまだ大学は始まっていないので友達もできず、1人でいる時間だけはたくさんあった不思議な日々。あのモヤモヤとした嬉しいようなさびしいような、どこにも所属しないフワフワとした気持ちが、春という季節にピッタリ重なり、強烈な思い出となっている。

でもあんな春は、もう2度とやってこないんだな。そう思うと、そのはかなさに胸がきゅん。

卒業式と入学式が春にある日本は、すばらしい。そのことだけは、日本に生まれてよかったなと思う。

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2008/02/22

市川崑へのラブレター

市川崑監督が亡くなった。つい最近、岩井俊二監督のドキュメンタリー「市川崑物語」を見た余韻が残っていたので、とっても残念。この映画を見ながら、「こんなにヘビースモーカーでも、長生きして映画を撮っているんだからすごいな~」と感心したばかりだったので、よけいに。

気骨とユーモアのある翁監督が、これでまた一人日本からいなくなった。なんかもう、今村昌平が逝ってから次々と…。今度は鈴木清順があぶない?

この「市川崑物語」にはナレーションがなく、岩井俊二によるコメントが無声映画のように活字で表されている。しかもそれがものすごく個人的なコメントなので、最初は面食らう。

要するに、これは岩井俊二による市川崑論であり、市川崑という映画人と運命的な出会いをし、そこに強く影響された岩井俊二が己のルーツをたどっていく映画なのだ。そして、ラブレター。

この映画を見ていて、無性に昔の「犬神家の一族」を見たくなった。

当時小学生くらいだった私は、これら金田一耕介シリーズを「生首が出てきて、犯人が必ず女。因縁べっとりのワンパターンで暗く哀しい映画」という程度の認識しかなかったので、大人になってチラッと見た時には、まずその音楽のかっこよさにしびれてしまった。そして、金田一は古谷一行の方が好きなのに(テレビドラマ版のファン)、「市川崑物語」で、実は映画の方も全部見ている自分に驚き、角川映画の影響力を改めて思い知る。

でもやっぱり、市川崑が「犬神家の一族」をそのままリメイクした意図が、私にはどうもわからないな。一体何をしようとしたのか。本人がやりたくてやったんだからいいんだけど、戦争の影がまだ残っている当時の時代の空気というか、そういうやりきれないものを21世紀に映し出すにはムリがあろう。他の女優よりはまだマシかもしれないが、松嶋奈々子じゃなあ…清潔感がジャマして。

しかし、「あの名作をそっとしておいてほしかった」とファンが思っていても、誰もリメイクを望んでいなくても、監督がやりたいと思ったら映画は作られる。しかもそれが自分の作品ならば、誰も文句は言えない。

ああ、映画は監督のものなんだ。だから「犬神家の一族」は市川崑のものなんだ。

でも、それをやって許される監督と許されない監督がいて、市川崑は許された。

晩年自分の代表作をリメイクした市川崑は、それが遺作になるとは思っていなかっただろう。何かを思うところがあってリメイクにチャレンジした後、「よっしゃ!これで次にいける!」と思い、新作の構想を練っていたはず。

だから、もう1本は撮ってほしかった。それは駄作になったかもしれないが、リメイクではなくオリジナルな作品で、有終の美を飾ってほしかった。そういう意味でも、今回の訃報は早すぎた。それが私には一番残念だ。

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2008/02/21

女王サマ

「エリザベス ゴールデン・エイジ」を見た。

前作に引き続きエリザベス女王を演じるケイト・ブランシェットが、程よく貫禄が出ていて、エリザベス女王の成熟度と重なってリアルな感じ。9年という年月は、こうして見るとけっこうな時間なんだなあとしみじみしてしまった。こういう類の映画は、やっぱり映画館で見るに限る。

それにしても、エリザベス女王が、もう笑っちゃうくらいに着替えるの何の。実際にそうだったらしいが、カツラで髪型もとっかえひっかえ(ハート型の髪型が!)。陰謀を知り、ショックで泣きながら部屋に閉じこもっている時にも、きっちりおめかしをしている女王様。パンフに「着飾ることはパワーを見せること」と書いてあったが、オシャレの原点は武装であり、戦略のためのツールなのである。

前作ではそこまでファッションが印象的ではなかったので、これは今回の見所の一つ。

脇役も、前作と同じく大好きなジェフリー・ラッシュが出ているし、出番は少ないが重要な役どころでサマンサ・モートンが出ているし(出ているとは知らなかったので、嬉しかった!)、2人の女から愛される色男の海賊がクライブ・オーウェンというのが、納得いくようで少々疑問も残るけど、全体的に不満なし。この海賊=冒険家が実在の人物だというのが驚きで、けっこう史実に基づいたエピソードがちりばめられている映画のようだ。

ところで、スペインの無敵艦隊が、日本で言うところの神風に遭って惨敗するのだけれど、「これが神の意思なのか」とさめざめと泣くスペイン王が、私にはおかしくて。そもそも「神をも恐れぬエリザベスに天誅を!」という大義名分で侵略戦争をしかけたのに、あっさり「これも神の思し召し」って…。懲りずに2回もやってきた元寇に比べると、これであきらめるなんてカワイイのう。

もしかしたら、晩年のエリザベスを描いた第3作が作られるかもしれない。すごいな。1人の人生の転機をピックアップした連作なんて、他にないのでは?それも、エリザベス女王という稀有な歴史上の人物と、ケイト・ブランシェットという適任がいればこそ。

でも3作目にはジェフリー・ラッシュがいない(この作品で死んだから)のが、さびしい。「パイレーツ・オブ・カリビアン」みたいに生き返るわけにもいくまい。

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2008/02/19

すかぽんたん

ご存知のように、「ヤッターマン」が実写映画になる。

ボヤッキーが生瀬なのは予想が大当たりで嬉しいが、肝心要のドロンジョが深田恭子とは、まるで夢(悪夢)のよう。あのコスチュームが着こなせるとは、到底思えん。アンジェリーナ・ジョリーと夏木マリが無理なら、せめて米倉涼子でお願いしたかった。

敵役ロボットも和田アキ子をモデルにするらしいし、このお遊びがうまく転がればよいが、ヘタしたらただのC級映画。いや、たぶんC級。

でも私は監督が好きだから、どんな作品でも一応見るけど(それがファンというものです)。DVDで。

そして、アニメの方もとうとうリメイクされ、子供たちの間では即席漬けのヤッターマンブーム。しかしうちの娘が毎日楽しみに見ているのは、ケーブルTVで放映中のオリジナル版である。

これがほんとに、記憶にあるまんまにくだらなくて平和で、愛すべきドジな悪党3人組が、このささくれだった世の中に束の間安らぎを与えてくれる。

何しろ罵倒する言葉が、「すかぽんたん」である。

過激な暴力描写が蔓延している昨今のアニメの中にあって、この「すかぽんたん」は冗談のように牧歌的。保育園で、子供たちが「や~っておしまい!」「このすかぽんたん!」と叫んでいるのを見ると、一瞬今が昭和のような錯覚にとらわれるのだが、「すかぽんたん」ってホントに罪がないよね。こんな罪のない罵倒語を大の大人が使っていた時代があったのかと思うと、何だか泣けてくる。

古い映画でも、「こんちきちょう」とか「人でなし」とか「おたんこなす」とか、今の「うざい」「むかつく」の攻撃性と悪意に比べたら、これを言われて当時の人は本当に傷ついていたのかと思うほど、やわらかい。美しいとすら感じてしまうのだからねえ。

てなわけで、ヤッターマンを見るたびに、日本語の罵詈雑言に思いを馳せる今日この頃。

でも「すかぽんたん」かあ。深田恭子も言うのかな。言うだろうな。深田恭子のような子供に「すかぽんたん」と言われる生瀬が、お気の毒。

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2008/02/02

0円なり

家作りに興味がある。

といっても、もし大金があったら、倉庫でも木造校舎でもいい。もともと人が住む場所ではない建物(病院以外)を改装して、店をやったり住んだりしてみたいと思う。

ポイントは、同じリフォームでも「住居でない場所を住居にする」というリフォームがしたいところ。一から好きなように建てたいとは思わないのが、自分でも不思議だ。また、いくら豪華でも、普通の一軒家やマンションには興味がない。だから、「アパート→ローンを組んで一軒家またはマンション」という住宅スゴロクにも、全く興味がない。

実は本当は、リスのように大きな木の中やモグラのように地面の下に住んでみたいのだが、できそうにないので、そこはツリーハウスを別荘にすることで我慢。夢物語ではあるけれど、これが本音だ。

私にとって家とは、「巣」である。え?こんなところに住んでるの?こんな暮らし方をしてるの?とあきれられようが、既存のものに手を加えつつ、自分に合った住まいをコツコツ作っていくのがいいな。

そんな私が嬉々として読んだのが、その名もズバリ「0円ハウス」という本。つまり、ホームレスがリサイクルでセルフブルドした家を集めた写真集である。

私は常々、たいがいの人は目を背けてしまうであろうこのダンボールハウス&青い家のことを、「中はどんな風になっているのか、のぞいてみたい」と思っていた。何しろ私は、「自分も、もしかしたらあんな風になるかもしれない」と思っているので、そういう意味でも「いやだ「汚い」と思ったことがない。あくまでも、「家」の中を見てみたいという好奇心からである。

で、この本によって、ついにその実態が明らかに!こんな本が出るなんて、すごいぞ!

それにしても、ああ、人はなぜ棲家を作ってしまうのだろう。狭いながらも楽しい我が家。そこかしこに垣間見られる知恵と工夫。いろんなものをかき集めて作ったまさに「巣」という感じが、私の胸を揺さぶる。

難しい本がきちんと並べられたインテリっぽい部屋。夫婦で住んでいる昭和のお茶の間みたいな部屋。太陽電池で電力をまかなっている家もあれば、いつでも移動できるよう、リアカーの上に建てられた家もある。

同じ家は2つとない。これは当たり前のようで、当たり前ではないと思う。

そして、これらの家を眺めているうちに、なんだかジンとしてくるのは、同情や憐みではなく、どんな暮しであっても、暮らすからには少しでも快適にしたいという人間の本能が、哀しいというか可笑しいというか。

外から中が見えないので、あんな狭い箱の中に閉じこもって何をやっているのかと思っていたけど、テレビを見ながら晩酌するオッサンがいて、オトウちゃんが帰ってきたら味噌汁を温めるオカアちゃんがいて、そこには小市民の普通の暮しがあった。

しかし、やはりあの青いビニールシートは、景観をそこねるなあ。


なんで他の色がないの?もっと楽しいデザインもほしい。もし私が0円ハウスを建てるとしたら、あのビニールの色は許せない!

0円ハウスの住人たちは、必要に迫られて家を建てたわけだが、それでも私には、創意工夫の乏しいただの豪邸に住んでいる人よりも、人間らしい生活をしているように見える。今はべつに、自ら好んで0円ハウスで暮らしたいとは思わないが、もしその時が来ても、楽しく巣作りをやろう。

0円ハウス Book 0円ハウス

著者:坂口 恭平
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